韓国語との出会いと今までやってきた勉強法

韓国語との出会いは2001年6月、今はなき、札幌帝国座会館でみた「JSA」という映画が一応、初めてになります。一応というのは大したことではないので最後に書いています。

その映画に出会うまでは韓国語というか韓国自体に興味がありませんでした。ただ当時サムスンにいた野球選手、イ・スンヨプだけは知っており、パワフルプロ野球のオリジナルチームにイ・スンヨプという選手を作り、チームに入れて遊ぶほどでした。その当時はまさか日本に来るとは思ってもいませんでしたけど。。

さて、そのJSAですが、ストーリーももちろんよかったのですが、それよりもその映画で流れていたキム・グァンソクの音楽がとても印象に残り、サウンドトラックまで購入しました。

これはK-POPとの出会いでもありました。これがきっかけで、さらにもっと韓国の音楽を聴いてみたいと思うようになり、当時、狸小路にあったノグリ市場という韓国の商品を扱ったお店に行き、「Gold발라드(バラード)」という韓国のバラードを集めた2枚組みのCDと、Positionという歌手のCDを購入して聴くようになりました。

当時の私は特にバラードをよく好んで聴いていたこともあり、韓国のバラードが非常に気に入り、それからウォークマンにも入れて聴くようになりました。ちなみに音楽が好きということもあり、外出時には常にウォークマン(現在はMP3を使用)を持ち歩いていますが、その時から現在に至るまで韓国語の曲がウォークマンから消えることはありませんでした。つまり、それほど日常的に聴くようになっていったともいえます。

ただ、韓国語については、勉強するまでには至らず、むしろ2003年に、カナダ・トロントにあるコリアンタウンに行った際にはその文字に圧倒され、息苦しささえ感じました。これは2004年2月に新大久保のコリアンタウンに行った際にも同様の感覚でした。

そんな中、2004年5月に親と韓国へ初めて旅行することになりました。本場に行けばその印象も変わるかもと思いましたが、やはり韓国に到着した時から、その文字に息苦しさを感じ、もうここには二度と来ないだろうとさえ、本気で思いました。

しかし、JSAの舞台にもなった板門店や南怡島などを観光しているうちに徐々に慣れていきました。そして夜にタクシーに乗っている際に、「真実」のテーマ曲を聴きながら夜の景色を楽しんでいたところ、その一部の景色がどことなく日本の昭和を思い出させるようなそんな錯覚に陥り、すごく不思議な感覚になりました。この瞬間、また来てもいいかなと思い始めました。3泊4日という短い日程ながらもこの旅行が韓国という国そのものにも興味を持つようなりました。

また、板門店に行ったきっかけから第二次世界大戦後における朝鮮半島の歴史についても興味を持つようにもなりましたし、韓国ドラマも徐々に見始めるようになりました。帰国してすぐ、夜中に「ホテリアー」が放送されており、最終的にそのシナリオ・フォトBOOKと台湾版のホテリアーもネットで購入していました。ちょうどこの辺りから、ネット通販を本格的にやるようにもなり、台湾版ホテリアー以外にも英語版「オールイン」とか英語版「ごめん愛してる」とか頻繁に買うようになりました。

韓国語もこの旅行を境に、少しずつ趣味程度にやり始め、一文字一文字、なんとなく読めるようになったものの、ちょっとやらないでいたら、一気に全て忘れてしまいました。

その後、2005年2月には全日空のマイレージを使用して、一人で8泊9日のソウル旅行を行くことにしました。カナダのトロントから帰ってきて3日後だったこともあり、あまり準備できずに現地へと向かいました。

しかし、この時、私は大きなミスをしていました。最初の宿泊先であるソウルタワー・ビレッジの地図、住所、TELを控えて(印刷)いませんでした。とりあえず、自分の頭の中の記憶を頼りにその周辺に行ったものの、アパートのような建物のだったこともあり、どれも同じに見え、さまよいました。途中で限界を感じ、南山ケーブルカー付近のタクシーの運転手に聞いてみることにしました。

しかし、タクシーの運転手もよく分からず「モルゲヌンデ(分からないんだけど)」と言われました。そのタクシーの運転手は親切なことに他のタクシーの運転手にも聞いてくれたものの誰も知りませんでした(笑)

天気もあまりよくなく、本当に大ピンチの状況でしたが、ここで奇跡的にも私がプリントアウトしてきた中に「KIS KOREA」というソウルの情報を配信しているサイトの電話番号がありました。KIS KOREAは当時、唯一ソウルタワービレッジの予約を受け付けているところでもあったので、ここを経由して申し込んだわけではなかったものの、なんとかなるのではと思い、再度、タクシーに向かい、そのTELを見せてみました。するとタクシーの運転手は電話してと頼んでもいないのに、そこにかけて聞いてくれました。その結果、なんとかなるような感じだったので、とりあえずそこのセンターに向かいました。

到着して中に入ると日本語のスタッフが出迎えてくれ、ソウルタワービレッジと連絡を取ってもらい、事なきを得ました。そこのスタッフからは「すごい行動力ですね~」と言われ、感心されましたが、ただ必死なだけでした(笑)

ちなみにこの一年後、同じくソウルタワービレッジに宿泊した際にも似たようなミスをしてしまい、この時には世宗ホテルのベルボーイに助けられました(詳細は省略)。

話を戻しますが、次に泊まったコープレジデンスでもちょっとしたトラブルに見舞われました。これは宿泊予約専門サイト側の手配ミスで、ネット使用できる部屋を手配したはずがされていませんでした。しかも、チェックイン時間の表記ミスもあり、すぐに電話をして話し合いました。色々と話し合った結果、部屋を変えてもらったうえに、宿泊代はお詫びということで宿泊予約サイト側が一泊分を負担することになりました。

この旅行では暮らすようにソウルを旅したいということもあり、米も日本から持っていき、おかずはロッテマートで買って食べたりもしていました。その心がけのせいか旅行なのに朝起きたのが12時だった(当時は学生だったので)ということが2度もありました。

この旅では8泊したこともあり、色々とみて回り、より韓国に興味を持つようになり、2006年2月にはソウル、同年4月には福岡から1泊2日で釜山へも旅行にいきました。

そしてこの年の夏、Skypeで韓国人の友達ができ、毎日のように話し、プレゼントなども交換するようになり、本格的に韓国語の勉強をするようになりました。このときにチャットやメッセンジャーもよくやったことから、ハングルにも慣れはじめました。

そして、この時にある勉強方法も思いつきました。それは、会話の中で出てきた韓国人の使う生のフレーズや覚えた単語をどんどんパソコンに単語登録するという方法です。例えば「はい」と入力して変換キーを押せば「네」が出てくるような感じですね。これをすることにより、すぐに返事も打てますし、簡単な言葉は翻訳機を通さなくてもよくなり、チャットもスムーズに行くようになりました。

ちなみに現在、私のパソコンに3000語近く韓国語が登録されています。ただ、あまり登録しすぎると、韓国語の候補が結構邪魔にもなってちょっとイライラします(笑)

2007年4月頃になると、ちょうどラジオのNHK講座が始まり、それを全てMP3で録音して続けていくようにしました。2007年5月には本格的に韓国語の勉強を始めてから、初のソウル旅行をしましたが、今まで見てきた韓国とは全く違った世界が広がっていました。看板の文字が一部読めるようになっていて、結構感動しました。また、歩いているだけで全てが勉強という感じで看板ばっかり見て歩いていました。

その後もその勢いにのり、NHK講座を中心に韓国語の勉強を続けていましたが、途中で息切れし始め、録音のみ状態になりました。それでもなんとか一年間録音だけは続け、NHKのテキストも1年間買い続けました。結局、録音のみの状態だった部分はその後も聞くことはなく、今もパソコンに保存された状態になっています(笑)。NHKのテキストも後半にいくにつれ、あまりやらなくなったこともあり、きれいな状態でしまわれています。

それでもこのNHKラジオ講座が役立ったことは間違いなく、ある意味、私が持っている数少ない韓国語の教材の中でも最強だと思っています。NHKのテレビ講座の方もやってはいたものの、内容が薄いので、あくまでも言葉に慣れるためだけに見ていました。

2008年5月には6回目となる韓国旅行へ行き、この時には簡単なことは韓国語でいえるようになりつつありました。ホテルにて「チェックインまで時間があるので、荷物だけ預けたいのですが」ということを韓国語でいうと、スタッフから「잘하시네요(上手ですね)」と褒められました。

この辺りから韓国の朱蒙という歴史ドラマも見始め、完全に韓国ドラマを見るのも日常生活の一部になっていきました。しまいには、第5共和国という韓国の現代史を描いたドラマも見て、韓国の現代史まで詳しくなっていきました。

その後も2009年4月、5月にはバスに乗って地方へも行きましたし、2010年1月にもKTXで民主化の舞台ともなった光州に行ったりと行動範囲もかなり広がりました。

だいぶ言葉に慣れてきたこともあり、Skypeでもゆっくり言ってもらえばそこそこの会話はできるようにもなり、英語よりも明らかにレベルが上になりました。とはいえ、まだ韓国ドラマも字幕なしでは3~4割(ホームドラマ的なものに限る)しか理解できないですし、単語も文字で覚えているのではなく、音を中心に覚えているのでパッチム(文字の一部:ㄴㄹなど)を見ないと正確な発音ができないこともよくあります。

今後はこの辺りも詰めてやっていこうと思いますが、基本的にはドラマを元に継続していけば、日常的な会話はできるようになるとほぼ確信にいたっています。スクリプトも韓国のHPに行けばあるので、とにかく慣れるということが全てだと思います。

以上が韓国語の出会いと今までやってきた学習法です。あと、最初に「一応」を最後に説明すると書いたので、ちょっと書きたいと思います。

実は今から3年ほど前に物を整理している時に、ふと高校1年生(1998年)の夏休みの課題(社会科)に使用したノートが見つかりました。この時に出された課題は「どこでもよいので海外旅行のプランを立てる」というもので、そこで私はなんと韓国を取り上げていました。しかも当時の先生宛にハングルでメッセージも書いており、その先生からはハングルでエクセレントと返答されていました。本当に大したことではないのですが、当時から将来、韓国をよく旅行することを予知していたのかなと思いました(笑)

正直、ここまで韓国にはまるとは全く思っていませんでした。もちろん、反日感情が強い国であることも、逆に反韓感情がある人がいることも、色々な諸問題があることも理解しているつもりでいますが、それらのことについては、人それぞれにそれぞれの考え方があるので、私自身はそこまで気にしていません。もちろん、WBCとかで日本に対してかなり過激な報道をしたりしているのを見た時などは「何それ!」と思うことはありますけど、それはそれである意味面白いとも思っています。

ただ今までチャットやスカイプをした同じ世代の韓国人と話す限りでは、日本に対する認識も変わってきているのかなぁというのは少なからず感じています。もちろん、そういう人達は日本に興味があり、日本語を勉強している人が大半であまり参考にはならないとは思いますが・・・。ただ私もせっかくここまでやってきたので、日本語を話す韓国人に負けないように韓国語の勉強を続け、20代の内に日常会話が出来る様にやっていこうと思っています。

投稿日時:2010年5月25日22:48

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