中学時代まで遡って書いていますが、途中から旅行記も含まれており、その当時の記憶の中に入りこんでしまった為、非常に長~い文章になっています(笑)
まず、英語を初めて勉強したのは、多くの方と同様、中学生での授業です。最初のうちは新鮮で嫌いではなかったものの、中学1年生の後半にいくにつれ、文法用語が理解できず、極めて苦手な教科になっていきました。あまり大きな声ではいえないですが、60点満点の学力テストで一桁の点数をとったこともありました。当時は友達と「日本から出る気はないし、英語っていらないよね?」という話をしていたぐらい興味もありませんでした。
高校に入ってからも相変わらず苦手でしたが、さすがにこれ以上、英語で足を引っ張ることだけは避けたかったので、点数を稼ぐためだけに、文法とかはほとんど無視した暗記重視のスタイルでやりました。その結果、成績は安定して10段階で7~10でしたが、根本的に理解していたわけではないので暗記した以外の英文はお手上げ状態でした。
ただ、高校生の時に、洋楽(カーペンターズ、ビートルズ他多数)を聴いたり、海外ドラマ「フルハウス」を見たり、高校2年の教科書に載っていたローマの休日をきっかけに映画もたくさん見るようになりました。また、NHKのイタリア語の語学講座とかもちょっとやってみたりと海外そのものにもかなり興味を持つようになりました。そういったことからも徐々に英語に対する意識が変化し、英語に対する憧れや克服したいという気持ちも少なからず生まれるようになりました。ただ、中学時代にきちんとやらなかったという思いもあり、苦手意識をもったまま大学へと進学しました。
大学へは指定校推薦で進学したので、センター試験は受けなくてすみました。ただ、逆にセンター試験の勉強をしていないということから、英語に対する苦手意識は余計に強くなりました。案の上、入学前に大学側から出された課題には英語が含まれており、全く分かりませんでした。とにかくお手上げ状態だったので、英語が得意の親友に全部やってもらいました(笑)
そうした中、ちょうど大学入学直前にアルバイトを始め、そこで幸いにも英文科の友達が出来ました。その友達に英語を克服したいということを相談すると「まだ十分に今からでも間に合う」と言われ、「とにかく英語を聴くこと」とアドバイスをもらいやってみることにしました。
大学では外国語は必修科目でしたが、英語を選択しなくても良かったため、ロシア語とドイツ語を選択しました。ただ、英語を克服したいという思いもあったため、オーラルコミュニケーションという会話重視の科目も選択することにしました。
しかし、これがまたさらに英語に対する苦手意識を強くさせました。授業内容は全て英語で、基礎が出来ていない私が到底分かるはずもありませんでした。
その結果、自分のペースで一からやり直したいという思いが強く生まれ、オーラルコミュニケーションはやめることにしました。そしてここから私の独学での英語の勉強がスタートしました。ちなみに大学ではその後、一切英語の科目をとらないまま卒業しました。
まず、最初に始めたのは高校時代に使っていた「わかる 使える アンビシャス高校英語」を読むことにしました。この本は今読んでもかなり分かりやすく、英語の初心者にとっては最適な一冊です。
ただ、それを読んでも「I want to go to Tokyo.」という文で何故toが二回も出てくるのかとか、「A girl singing in karaokebooth」という英文がなぜ文ではなく句なのか、理解出来ませんでした。当然、その語順もよく分かりませんでした。
そこで気分を変えて新しい英語の教材を買うことにしました。最初に買ったのは「基本表現80で身につく英語」という本でした。しかし、この本は文法用語がかなり多く使われ、「目的格補語」「疑問副詞」「原形不定詞」とか初心者向けではありませんでした。それでもせっかく買ったのでと、付属していたCDを寝る前とか聞くようにして利用していました。
あとは、英語はただ聴くだけ(多聴)でも効果があるということだったので、とにかく聴くようにしました。ただ、それをやっても正直、上達した感はなく、別な教材も買い始めるようになり、この頃から教材を買うのが趣味といえるほどになっていきました。数が多いので何の本を買ったのかまでは書きませんが、よく雑誌とかでも紹介されていた「ドリッピー」もやってみました。このドリッピーについては長く続かず、5ヶ月間で終了しました。まともにやればそれなりに実力はつくのかもしれないですが、私には合いませんでした。
そんなこんなで模索しながら続け、その力試しもこめて、2002年2月、JTBのカナダ・トロント6日間フリープランコースを利用し、初めて海外へ一人旅にいくことにしました。ちなみにトロントを選んだのは治安がよいからでした。この旅行で英語の最初の洗礼を受けたのは、乗継先でのバンクーバーにおける入国審査でしたが、それは何とかクリア出来ました。
次に私を待っていた試練はトロント行きの便での機内食でした。カナダの国内線ということもあり、日本語が使えません。英語とフランス語のみです。なにやらメニューが二つあるようでしたが、その内容すら分かりません。とりあえず、何でもいいのでと思い、CAの発音を真似して「ワッホー」と言ってみました。するとワッフルが出てきました。「なるほど、ワッフルのことか・・・」と思いつつも、内心かなりドキドキでした。
トロントに到着後は、私一人の為にJTBの係員が迎に来て、ホテルのチェックインもしてもらいました。到着した日は夜だったこともあり、そのまま就寝し、次の日からトロント市内を散策しました。
そしてその日の夕方、海外の雰囲気に慣れてきたこともあり、電話でピザを注文することにしました。しかし、ここでまた試練が待っていました。ベーコンのピザを注文しようとしても発音が悪く、「sorry sorry」を連発されました。しまいには「No English?」といわれ、自分の力のなさを痛感しました。一応、ピザの方はなんとか注文できましたが・・・。しかも、日本の感覚でミディアムサイズを注文したところ、あまりにも大きくて、二切れしか食べれませんでした。
次の日はなんとかバスに乗ってナイアガラを見に行きました。その次の日も市内観光をしてこの旅行を終えました。初めての海外旅行だったこともあり、すごく良い思い出にはなりましたし、二度と「No English?」と言われないように頑張ろうと思うようになりました。
それから数ヵ月後に、初めてTOEICというテストを受けることにしました。点数は305点でした・・・。それでもいつかは克服したいという思いは変わらず、多聴をメインにその後も続けていきました。そして心のどこかに短期留学ということも考え始めました。夏ごろには具体的に考え始め、その費用を夏休みに一気に稼ぎました。そして2002年12月頃、今はなきGateway21で申し込みを行いました。行き先はまたまたトロントです。
そして2003年2月、これで話せるようになるという思いをこめてトロントへ向かいました。到着するとホームステイ先のマザーとGateway21の担当者が待っていました。Gateway21の担当者とは空港で別れ、ホームステイ先のファザーが運転する車に乗り込み家へと向かいました。
家に到着すると、色々と説明を受けましたが、なんとなくしか分かりませんでした。その後、マザーが誰かを呼ぶと、その娘と同い年の韓国人が出てきました。韓国人は私と同じように留学しているとのことでしたが、Gateway21にはあらかじめ、私一人だけという話だっただけに意味が分かりませんでした。しかも部屋にテレビもはるはずが、それもありませんでした。とりあえず、次の日から語学学校に行くことになっていたので到着した日はそのまま就寝しました。
語学学校では最初にテストがあり、その結果から一番低いクラスにいくことになりました。そのクラスには色々な国の人がいて、国際色豊かでしたが、そのクラスにいた韓国人から「You look like korean」と言われました。韓国語は当時、本格的にやっていたわけではありませんでしたが、「アルゲッスmニダ(わかりました)」「モルゲッスmニダ(わかりません)」という言葉は知っていたので、それを言ってみると発音も韓国人みたいだと喜ばれました。
さて、授業の方は朝9時~3時位まででしたが、オーラルコミュニケーションの再現ではないですが、授業についていけませんでした。一番低いクラスとはいえ、南米人はよくしゃべるし、他の日本人も結構できる人達のように思えました。
結局、トロントの町をもっと観光したいというのもあり、授業は午前中だけにして午後は観光にしました。午後を観光に当てたこともあり、色々とトロントを見て回れましたし、映画館で映画を見たりもできました。ただ、体感温度が-36度の時もあり、それ以外でも朝はほとんど-20度に近かったので、北海道人の私でもかなり寒かったです。
ステイ先では、そこの韓国人と文化の違いとかをときどき話したりしながら過ごし、あっという間に一ヶ月が過ぎ、帰国となりました。
帰国してからの英語力については、ほんの少しだけあがったかも・・という感じで、それほど大きな変化はありませんでした。もちろん一ヶ月という短い期間だったのいうのもありますが、結局、本気でやらない限りは駄目なんだと思いました。
それでもその経験をもとに自分のペースで英語を続けていきました。そして2004年2月にはバンクーバーへ旅行に行き、2004年6月には再度TOEICを受けてみました。その結果、530点(リスニング355点、リーディング175点)でした。一応、2年前から200点以上アップしたので成果は出たのかなと思いました。ただ、リーディングのスコアが2年前と対した変わっていなかったのが残念でした。
その後も30歳までにはしゃべれるようにという漠然とした目標を定め、気が向いたら英語をやるという感じで続けていきました。そして2005年2月にはまたまたトロントへ旅行に行き、同年3月には学生生活も終えました。
しかし、卒業後は英語よりもホームページの作成や韓国語に興味がわき、徐々に英語から離れていきました。2006年にはSkypeで韓国人の友達がいたことや、野球が盛り上がったこともあり、英語は完全にやらなくなり、いつの間にか英語の「え」すら忘れ、英語に対する苦手だけが復活していました。
それから長い月日がながれ、時は2010年3月になっていました。その頃、ちょうど世界フィギュアで日本の選手たちが英語でインタビューしているのを目にしました。その瞬間、またやり始めようかなと思い始めました。4月からは本格的に再開し、学生時代の経験から多聴はやめ、高校時代に使っていた教科書と中学時代の英文法の本から徹底的に基礎を固め、文の構造を理解するようにしました。
年齢を重ねて読解力がついたのか韓国語を勉強していた影響かは分かりませんが、文法も面白く思え、ようやく文や句の違い、語順などが分かるようになってきました。また、とにかく英語は基礎が大事ということと、覚えるというよりも慣れることだということにも気づき始めました。
そして、現在に至り、学生時代に定めた30歳までにという目標を甦らせました。以上が今までやってきた私の独学英語です。
なお、現在、やっている方法については別なページで書くつもりなので、興味のある方はそちらを見てください。今後はその方法で続け、目標を達成したいと思っています。
投稿日時:2010年5月25日17:42
最近のコメント