【二二八事件の記念公園】
1947年に起きた二二八事件のメモリアルパークである二二八和平公園は、日本統治期の1899年に台湾初の洋風公園として造られた台北新公園が前身です。二二八事件勃発50周年となる1996年に現在の名称である二二八和平公園へと改名されました。
公園内には事件で犠牲となった台湾住民を追悼する二二八事件紀念碑や、二二八事件に関する資料が展示されている二二八紀念館(旧日本統治時代のNHK台北支局)があります。また、それら以外にも中国風東屋、国立台湾博物館、野外音楽堂、孔子の像などもあり、見所が多い公園となっています。
[二二八事件とは?]
1947年2月28日に勃発した、中国大陸から逃れてきた蒋介石率いる官僚や軍(外省人)と、もともと住んでいた台湾人(本省人)との大規模抗争のことです。
(もっと細かく説明すると)
日本が敗戦し台湾を去った後、中国の覇権争いで毛沢東(共産党)に敗れた蒋介石(国民党)が、200万人以上の官僚や軍を率いて台湾に流入し、台湾の実権を握るようになりました。しかし、官僚らの汚職・腐敗などから経済状況は著しく悪くなり、治安も悪化していきました。
これに対し、もともと住んでいた本省人の人達は、日本の統治期の方がまだマシだったと不満が高まり、「犬去りて豚来る」とまで揶揄されるようになりました。この犬というのは日本で、豚は国民党(外省人)のことですが、「犬はまだ番犬などで役に立つが、豚は食べて寝るだけ」という意味をあらわしています。
そうした中、1947年2月27日、国民党の取締官が台北でヤミタバコを売っている女性を見つけ、その女性を殴りつけた上、商品や所持金を没収する事件が発生しました。さらには集まった民衆に対しても発砲し、その一人が射殺されるという事態にまで至りました。これをきっかけに本省人は国民党への不満が爆発し、翌28日にデモ隊を結成して市庁舎へ押しかけました。しかし、国民党側は機関銃を向け、無差別に非武装のデモ隊に発砲し、多くの市民が犠牲となりました。これが二二八事件になります。
その後の詳細までここで紹介すると文章が長くなってしまうので、興味のある方はwikipediaや他のサイトを参照下さい。 |