【二二八事件の歴史を知ることができる記念館】
二二八和平公園内にある台北二二八記念館は、1947年2月28日に勃発した二二八事件の歴史を知ることができる歴史館で、1997年に二二八事件の記憶を留めることを目的にオープンしました。なお、建物自体は日本統治時代の1931年に旧NHK台北放送局として建てられたものです。
館内は1階と2階に分かれており、12室の常設展示室と1室の特別展示室で構成され、二二八事件に関する貴重な資料や写真が数多く展示されています。展示室の詳細については、中国語のみではありますが、公式HPに掲載(展演資訊から常設展をクリック ※2016年2月19日現在)されているので、そちらを参照下さい。
決して観光名所ではありませんが、台湾の歴史を知る上では欠かせない場所なので、歴史に興味のある方には必見です。なお、二二八事件の概要については簡単ではありますが、下記にまとめましたので、こちらも参照いただければと思います。
[二二八事件とは?]
終戦後に中国大陸から逃れてきた蒋介石率いる官僚や軍(外省人)と、もともと住んでいた台湾人(本省人)との大規模抗争のことで、1947年2月28日に勃発しました。
(さらに細かく説明すると) 日本が敗戦し台湾を去った後、中国の覇権争いで毛沢東(共産党)に敗れた蒋介石(国民党)が、200万人以上の官僚や軍を率いて台湾に流入し、台湾の実権を握るようになりました。しかし、官僚らの汚職・腐敗などから経済状況は著しく悪くなり、治安も悪化していきました。
これに対し、もともと住んでいた本省人の人達は、日本の統治期の方がまだマシだったと不満が高まり、「犬去りて豚来る」とまで揶揄されるようになりました。この犬というのは日本で、豚は国民党(外省人)のことですが、「犬はまだ番犬などで役に立つが、豚は食べて寝るだけ」という意味をあらわしています。
そうした中、1947年2月27日、国民党の取締官が台北でヤミタバコを売っている女性を見つけ、その女性を殴りつけた上、商品や所持金を没収する事件が発生しました。さらには集まった民衆に対しても発砲し、その一人が射殺されるという事態にまで至りました。これをきっかけに本省人は国民党への不満が爆発し、翌28日にデモ隊を結成して市庁舎へ押しかけました。しかし、国民党側は機関銃を向け、無差別に非武装のデモ隊に発砲し、多くの市民が犠牲となりました。これが二二八事件になります。
その後の詳細までここで紹介すると文章が長くなってしまうので、興味のある方はwikipediaや他のサイトを参照下さい。 |