板門店 2004年版
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2004年 板門店ツアー詳細(後編)
板門店ツアー(後編:昼食後~ホテル到着まで)
~南北分断の現場へ~


【スライド・ブリーフィング】
昼食後、食堂からすぐそばにある小さなホールに移動し、日本語のツアー客は前の方に座り、英語のツアー客(どこのツアー会社かは不明)は距離をとって後ろの方に座って同時通訳でスライドを見ることになった。スライドが始まる前に、まず、軍人でないということを証明するバッチと宣言書が配布された。バッチは左胸に付け、見学中は必ずつけるように指示された。また、宣言書はJSA内で何が起きてもUN軍、及び韓国軍は責任を負わないというものであった。

それから間もなくして、JSAについてのスライドブリーフィングが始まった。本来は軍人が説明するらしいのだが、日本語を話せる軍人が居ない為、バスガイドが説明した。

最初に16カ国の国旗が映し出されたが、そこには日本の国旗がなく、周りが少しざわめく。ガイドから「この国々は韓国戦争に参加した国です」との説明があり、皆、納得した様子であった。次に韓国戦争の背景、板門店の歴史、1976年に起こったポプラの木事件など、写真や図などスライドを使っての説明が20分間ほど続いた。

韓国戦争に参加した16ヶ国
韓国戦争に参加した16ヶ国



【JSA境内へ】
スライド終了後、国連軍のバスに乗込み、JSA境内へと向かった。ここからは、有事が起きた際に護衛となる戦車が先導し、バスの中には実弾入りの銃を所持した韓国軍兵士一人が乗車した。バスが走り出すと、バスガイドは「皆さん、ちゃんと宣言書にはサインしましたか。サインしましたね。皆さんとても勇気がありますね?」と皆に問いかけた。

そして、UN軍が管理するチェックポイントまで着くと、バスは数分間停車し、何かを確認している。この間にバスガイドから「板門店を見学する時には、貴重品とカメラだけしか持って行けませんので、今の内に準備をしておきましょう。また、一番、フィルムが没収される場所でもあるので気をつけましょう」と声がかかった。

再びバスは走り出すと、統一の橋の時と同じような障害物が置いてある道を進んだ。周りには畑のような感じであったが「この両端には多数地雷があり、地雷畑となっています。地雷の種類は足地雷であり、足地雷の場合は負傷した兵士を助ける為に2人来るのでより効果があります」とバスガイドからリアルな説明があり、どよめきが起こった。バスはJSA入口の標識らしきものを過ぎ、いよいよ見学のスタート地点である「自由の家」が見えてきた。


【自由の家】
「自由の家」は南北交流などを支援し、連絡業務を行っている場所だそうだ。バスから下車するとツアー客は、安全の為に2列に並び見学した。「自由の家」に入り、展望台の前で2回目の団体記念写真撮影が行われた。撮影後、展望台に上ると板門店の全景を見渡すことができ、限られた時間の中で写真を撮り続けた。また、北朝鮮側の「板門閣」には兵士が立っているのも確認できた。

バスガイドが板門店にくる道中に「板門閣に立っている兵士は選び抜かれた相当なエリートで、何も不自由はありません。ただ、それは板門店にいる韓国側の兵士も同じです」と話していたことが頭を過ぎった。

そうした中でバスガイドから
「北側は私達を望遠鏡で観察していますので、指を差したり、手を振ったりはしないで下さい。」と注意があったが日本人の癖なのだろうか。ある年配のおばさんが隣の人と喋りながら、北朝鮮側の方に指を指しているではないか。これを見たバスガイドはたまらず、注意を促した。特に問題は起きず、ツアー客からは笑いがこぼれていたが、バスガイドからしてみれば、ヒヤリとする瞬間であったに違いない。

奥の方に見えるのが北朝鮮側の板門閣 青い建物が軍事停戦委員会の会議場
奥の方に見えるのが北朝鮮側の板門閣 青い建物が軍事停戦委員会の会議場



【軍事停戦委員会の会議場】
そして、いよいよ映画「JSA」でも見たシーンの一つ「軍事停戦委員会の会議場」へと足を踏み入れた。会議場の周りには、半分だけ建物に身を隠し、すぐに銃を抜ける姿勢をとった兵士がサングラスをかけて立っている。銃撃戦が起こった際、撃った後にすぐに身を建物に隠すらしい。ちなみにサングラスをつけている理由は直接、北朝鮮側の兵士と目線を合わすの避ける為らしい。これらの兵士は3時間交代で行っているとはいえ、大変そうであった。バスガイドも「今の時期はいいのですが、夏になると暑くなり大変です」と話していた。

会議場の中に入ると、ここで最後の団体記念写真を撮影した。撮影後、韓国と北朝鮮の国境について説明があり、気づくと既に北朝鮮側に立っていた。正直、あまり北朝鮮側にいるという実感が沸かず、限られた時間の中で写真を撮ることに必死であった。だが、会議場の窓から見えるコンクリートの国境線は、南北分断の歴史を感じさせた

会議所の中から見える韓国軍兵士 国境である38度線。砂利側が韓国で土側が北朝鮮
会議所の中から見える韓国軍兵士 国境・38度線。砂利側が韓国で土側が北朝鮮



【第3警戒所】
会議場を後にし、再びバスに乗り込んだ。バスはゆっくりと進み、第3警戒所前の急な坂道で停車した。第3警戒所は高台な場所にあるので北朝鮮の宣伝村や「帰らざる橋」を見渡せる他、韓国と国旗の高さを競争した結果、約160メートルにもなったという世界一高く掲揚された北朝鮮の国旗も見ることが出来る(自由の家の展望台からも見ることが可能)。ちなみにここから見える北朝鮮の山は自由路で見た時と同様に木がない状態であった。また、ここで写真を撮影しているとどこからか歌が聞こえてきた。バスガイドによれば、北朝鮮によるものであるとの事だった。

北朝鮮の山 高くそびえる北朝鮮の国旗
北朝鮮の山 高くそびえる北朝鮮の国旗
第3警戒所から見た全景 
第3警戒所から見た全景


【「ポプラの木」と「帰らざる橋」】
再びバスに乗り、今度はポプラの木事件のあった現場と帰らざる橋を車窓から見るため、バスは再び走り出した。ここは危険すぎるので下車して見ることはできないらしい。数分走り出すと、右側に「ポプラの木事件の碑」が見えてくる。バスガイドから「右側の下の方にポプラの木事件の現場が見えます。立っても構いませんので写真を撮りたい人は撮ってください」と説明があった。運良く右側に座っていた為、見ることができたが、左側に座っている人は見ることは出来なっただろう。

それから5秒も経たない内に、正面には「帰らざる橋」と「監視小屋」が見えてきた。ここでも席を立ってでの写真撮影が許可された。前から3番目に座っていた上、バスが左折したくれたのでしっかり撮影できたが、やはりここでも、左側に座っている人と後ろの方に座っている人はあまり見られなかったであろう。

ポプラの木事件の碑 帰らざる橋
ポプラの木事件の碑 帰らざる橋



【免税店】
これでJSA境内の見学は全て終了した。バスは自然豊な道を通り、今まで先導していた戦車とも別れを告げ、小さな免税店があるキャンプ・ボニファスへ戻ることとなった。その道中で、バスガイドが「ここら辺は時々、鹿が現れますが、心が綺麗な人にだけ見えるとも言われています。私は何度か見ました。前回も見ました」「それと地雷のことですが、ここに住む動物が踏むのではないかと心配する人もいるでしょうが、動物は火薬の臭いに敏感で踏まないそうです」と説明があった。その後、バスガイドはポツリと「南と北で様々な出来事があってもここの自然は変わらないですね」と言った言葉が、切なく響いた。

バスは免税店に到着し、ここで20分程、自由な時間が設定され、キーホルダーや写真などを購入した。店の中には書き込み自由な本がおいてあり、統一を願うメッセージや平和を願うメッセージなど国籍を問わずに書かれていた。私も書き込みをしたあと再びバスに乗り込み、バスは再び統一の橋を渡り、ソウルへ向けて走り出した



【帰路】
ここで撮影された3枚の団体記念写真は、DMZと書かれた本の中に入れられ、25000Wで販売された。少々高く感じたが、記念なので購入し、バスの車窓から臨津江を見ながら非武装地帯に別れを告げた。バスはロッテホテルに到着し、バスガイドは一人一人に「ありがとうございました。お疲れ様でした。」と催行中には決して見せることのなかった笑顔で皆を見送っていた。


板門店ツアー前編(出発~昼食まで)


[記事作成日]2008年11月24日

※2004年6月に訪れた時の体験を基に作成しています。

・2006年2月から公開していた内容をリニューアルしました。ただ、文章自体は2004年6月に作成し、旧サイト・ゴールデンロード時代から掲載していたものです。若干、文のつながりがおかしい部分もありますが、当時の記憶のまま、ほぼ修正しないで載せています(2008年11月24日)






板門店の地図


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