李氏朝鮮時代に合図の鐘として活躍した鐘楼「普信閣」 |
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■インフォメーション
※住所、営業時間、入場料については公式HPやガイドブック(旅行サイト)を参照にしていますが、変更になっている場合や入力ミスも考えられるのでご自身でも再度確認することをお勧めします。電話番号につきましてもご自身で確認下さい。 |
■紹介
【李氏朝鮮時代に合図の鐘として活躍した鐘楼】
普信閣では李氏朝鮮時代、朝夕に鐘が鳴らされ、その合図をもとに南大門、東大門などソウルを囲む城門の開閉が行われていました。当然ながら、現在では門の開閉はないため、鐘はならないですが、大晦日に限っては除夜の鐘として33回、打ちなされているそうです。
現在の楼閣は、韓国(朝鮮)戦争で焼失したものを1977年に再建したものです。また鐘についても、元の鐘に傷が入った為、1985年に新しく造られたものです。その元の鐘は宝物第2号として国立中央博物館に保管されています。ちなみに鐘路という地名は、この鐘楼の別名「鐘閣」から由来されているそうです。 |
■フォトギャラリー
2009年に撮影した普信閣の外観です(2009年5月撮影)
2013年に撮影した普信閣の外観です(2013年5月撮影)
少し斜めから撮影した写真です(2013年5月撮影)
見づらいですがハングルで説明が書かれています(2009年5月撮影)
こちらも同じく普信閣の案内板です。左がハングル、右が英語です(2009年5月撮影) |
[記事更新日]2015年9月27日
※2013年5月、2009年5月に訪れた時の体験を基に作成しています。
・スマートフォンでも場所を検索しやすくする為、リンク型のGoogle地図情報を追加しました(2015.9.27)
・ページの表示を高速化させるため、グーグルマップを非掲載にしました(2015.1.25)
・グーグルマップを見やすい地図タイプに変更しました(2014.7.3)
・2009年7月7日から公開していた内容にロードビュー情報と写真を追加しました(2013.9.11)
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