光州事件で罪のない市民が犠牲になった場所「農城広場激戦地」 |
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■インフォメーション
※住所、営業時間、入場料については公式HPやガイドブック(旅行サイト)を参照にしていますが、変更になっている場合や入力ミスも考えられるのでご自身でも再度確認することをお勧めします。電話番号につきましてもご自身で確認下さい。 |
■紹介
【光州事件で罪のない市民が犠牲になった場所】
地下鉄1号線「農城」駅からすぐの場所に位置する農城広場激戦地(「農城広場」や「農城公園」とも呼ばれる)は、光州事件(5.18光州民主化運動)の最中の1980年5月22日、戒厳軍と農城広場の市民軍が対峙し、周辺の住宅街にて無差別な銃撃が起き、罪のない一般市民が犠牲になった場所で、史跡16号にも指定されています。
また、同年5月26日には、戒厳軍が再び光州市内へ進入しようとしたため、地元の有力者や学生などによって構成された市民収拾対策委員会の人達が、この広場で裸になって寝そべり、対抗するという“死の行進”が行われた場所でもあります。
現在は、地元の人たちが集う公園として整備されており、所々にベンチや健康マシンも置かれています。その他、農城広場激戦地のことが書かれた石碑や、地下鉄1号線の建設で犠牲になった人達の追慕碑、全羅南道羅州出身の李氏朝鮮末期の義兵長であった金泰元の銅像も建てられています。
光州を紹介している日本のガイドブックなどでは、ほとんど紹介されることがない場所ではありますが、光州事件を語る上では欠かせない場所の一つでもあるので、光州事件に興味がある方であれば、訪れてみるのも良いと思います。
※参考文献『農城広場激戦地の石碑』『光州市公式サイト』 |
■フォトギャラリー
農城広場激戦地のことが書かれた石碑です(2016年6月撮影)
農城広場激戦地内の風景です(2016年6月撮影)
農城広場激戦地にある健康マシンです(2016年6月撮影)
地下鉄1号線の建設で犠牲になった人達の追慕碑です(2016年6月撮影)
金泰元の銅像です(2016年6月撮影)
金泰元の銅像についての説明です(2016年6月撮影) |
[記事作成日]2016年9月15日
※2016年6月に訪れた時の体験を基に作成しています。
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