馬山3・15義挙で犠牲となった市民らが眠る「国立3・15民主墓地」 |
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■インフォメーション
※住所、営業時間、入場料については公式HPやガイドブック(旅行サイト)を参照にしていますが、変更になっている場合や入力ミスも考えられるのでご自身でも再度確認することをお勧めします。電話番号につきましてもご自身で確認下さい。 |
■紹介
【馬山3・15義挙で犠牲となった市民らが眠る追悼施設】 慶尚南道昌原市馬山檜原区に位置する国立3・15民主墓地は、馬山3・15義挙で犠牲となった市民らが眠る追悼施設で、自由・民主・定義の崇高な3・15精神を継承、発展させるために造られました。
ちなみに馬山3・15義挙(日本では3・15馬山事件ともいわれる)とは、1960年3月15日に李承晩大統領の不正選挙に抗議するため、学生や市民が馬山で展開された街頭デモのことで、その後の4.19革命への火付け役になったともいわれています。
なお、最初は1968年に亀岩洞のエギ峰(애기봉)に造成された1,200坪ほどの墓地でしたが、1994年に馬山3・15義挙聖域化事業の推進が決定し、1998年3月から約5年間に渡って現在の場所にて造成工事がなされ、2003年3月15日に国立3・15墓地として竣工式が行われました。
12万平方メートルを超える広大な敷地内には、墓地だけでなく、当時の写真や資料などが展示されている「3・15記念館」や犠牲者の人々の遺影が掲げられた「遺影奉安所」も併設されています。その他にも民主の門(民主のタワー)、正義の壁、正義の像、民主のトーチなどの造形物も設置され、追悼施設ならではのゆったりとした独特の空間が広がっています。
決して観光名所という場所ではありませんが、馬山の歴史のみならず、韓国の現代史を語る上では欠かせない場所の一つなので、韓国の歴史に興味がある方には必見です。
交通のアクセスは、3・15大路沿いの最寄のバス停から1キロ以上離れているため、歩くのが好きでない方はタクシーのみとなりますが、国立3・15民主墓地へ向かう道(西側)には、「詩がある道」と名付けられた3・15義挙などに関する石碑が並んでいるほか、春の時期には桜も咲くので、より深く3.15義拳について知りたい方や春の時期に桜を楽しみたい方は、タクシーを使わずに行くのがお勧めです。
※参考文献(サイト):『国立3・15民主墓地の公式HP ※墓地の歴史、概要を参照』『Wikipedia(四月革命[韓国]) ※馬山3・15義挙の概要について参照』『한국향토문화전자대전(마산
구암동 국립 3·15 민주 묘지) ※墓地の面積を参照』 |
■フォトギャラリー
国立3・15民主墓地へ向かう道にある石板です(2018年7月撮影)
国立3・15民主墓地の方角を示した標識です(2018年7月撮影)
こちらも国立3・15民主墓地の方角を示した看板です(2018年7月撮影)
昌原観光地の案内板です(2018年7月撮影)
詩がある道と書かれた石板です(2018年7月撮影)
3・15義挙や詩がある道の説明が書かれています(2018年7月撮影)
詩がある道にある鎮魂曲の石碑です(2018年7月撮影)
こちらも同じく詩がある道にある石碑です(2018年7月撮影)
国立3・15民主墓地のゲートです(2018年7月撮影)
国立3・15民主墓地の案内板です(2018年7月撮影)
国立3・15民主墓地の利用案内です(2018年7月撮影)
3・15記念館です(2018年7月撮影)
3・15記念館の横から撮影した墓地の風景です(2018年7月撮影)
民主の門を中央にして撮影した風景です(2018年7月撮影)
「正義の像」という造形物です(2018年7月撮影)
間近で撮影した民主の門です(2018年7月撮影)
墓地内にある造形物の案内です(2018年7月撮影)
参拝壇へと続く階段です(2018年7月撮影)
正義の壁と参拝壇です(2018年7月撮影)
参拝壇です(2018年7月撮影)
正義の壁の左側です(2018年7月撮影)
正義の壁の右側です(2018年7月撮影)
遺影奉安所へと続く階段です(2018年7月撮影)
遺影奉安所へ向かう階段の左側ある墓地です(2018年7月撮影)
遺影奉安所へ向かう階段の右側にある墓地です(2018年7月撮影)
遺影奉安所の入口です(2018年7月撮影)
遺影奉安所の中です(2018年7月撮影)
遺影奉安所前から見える風景です(2018年7月撮影)
敷地内にある休憩広場です(2018年7月撮影)
3・15義挙に関する写真も展示されています(2018年7月撮影)
3・15義挙記念詩碑です(2018年7月撮影)
3・15義挙記念詩碑の説明です(2018年7月撮影) |
[記事作成日]2019年6月15日
※2018年7月に訪れた時の体験を基に作成しています。
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