板門店 2004年版
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2004年 板門店ツアー詳細(前編)
 板門店ツアー(前編:出発~昼食まで)
~「自由路」から見る南北分断の実体~


※青文字で表記されているのは、バスガイドが説明した部分を出来る限り再現したものですが、一字一句同じということではありませんのでご容赦下さい。

【集合】
朝9:30、JTBの現地係員が宿泊先である慶南観光ホテルのロビーへ迎えに来た。晴れ渡った天気の中、一般タクシーに乗り、集合場所であるロッテホテルへと向かった。相変わらず、ソウルは渋滞しており、なかなか進めない。そうした中で、現地係員はパスポートを確認した後、ツアー代である90000Wを回収した。その後も渋滞は続いたが、所々、現地係員が名所を説明してくれた。結局、約50分程かかり、ようやくロッテホテルに到着した。なお、個人で申込した場合は朝10:00に集合しなければならないようであった。


【出発】
到着後、JTBの係員からバスの座席番号を告げられ、バスに乗り込んだ。しばらくするとパンフレットが配られ、流暢な日本語を話す韓国人バスガイドから注意事項やツアー内容等についての説明が始まった。そうした中、バスは最初の目的地である臨津閣(イムジンガク)へと走り出した。


【注意事項】
バスガイドは真剣な表情でこのツアーについての注意事項を説明した。重要な注意事項なのでガイドが説明した内容を可能な限り再現し、以下に示しておくことにする。

「このツアーは普通のツアーとは違い、緊迫した場所に行きます。皆さんもご存知のように、朝鮮半島は朝鮮戦争以来、世界で唯一、単一民族が南と北に分断し、今も続いています。ここで"朝鮮"という表現についてですが、韓国では"朝鮮"という言葉は使いません。ですから"朝鮮戦争"のことは"韓国戦争"、"朝鮮半島"の事は"韓半島"といい、これから先もそのように説明していきます。また、このツアーは韓国の人が行こうとするといろいろ取り調べなどを受け、許可されるまで6ヵ月 ~1年はかかります。」 

「そうした緊迫した場所に行くのですから、それに伴い、様々な細かい規定があります。服装はアメリカで誕生したジーンズなどは北側の感情をさかなですることになるのでダメです。靴についてもスリッパやサンダルは禁止です。もし、銃撃戦が発生したらどうしますか。そんな靴では逃げられませんよね。」

「それから、12時間以内に飲酒された方も見学は出来ません。見たところ何人かいるみたいですが・・・(ツアー客から笑いがこぼれる)。初めて聞いたという人はこれから先は飲めません。もし、酔った状態で分断線を越えたら、どうなるか分かりますね。一躍有名人になりますが、銃撃戦が発生し大惨事になるかもしれません。以前、酔って分断線を越えた人がいて、夜遅くまで一人一人取り調べを受け、全てのツアーがキャンセルされたこともありました。たった一人の為に、全てがキャンセルされたのです。」

「また、写真撮影も厳しく制限されます。撮影しても良い場所は教えますので、それ以外は撮らないで下さい。毎回、何人か撮影禁止区域で撮影し、フィルムを没収されています。そうなってもガイド側は何も言えません。」


「それと駐留している兵士に話し掛けたり、北側に手を振ったりするのはスパイと間違われますので絶対にしないで下さい。これらは安全に見学する為ですので守って下さい。」

「少しですが北朝鮮側に立てるところもありますので、その辺は楽しみにしてもいいと思います。このツアーで、いかに戦争が残酷なものなのか分かると思います。また、せっかくなので眠い人もいるかもしれませんが、この機会に韓国の歴史について少し触れていきます」


【自由路へ】
こうした説明が続く中、バスは高速道路である「自由路」に入った。この自由路という名は、将来、統一した時に南北を自由に往来できることを願って名づけられた。何車線にもなる道路の中央には芝生がしかれていたが、バスガイドから「将来、統一したら、交通量も多くなるのでここも道路にする予定です」という説明もあり、統一への願いが感じられた。

バスはさらに北へ進み、車窓からは漢江(ハンガン)が見ることができたが、その川岸には鉄条網が設けられていた。これは北朝鮮スパイの侵入を防ぐ為のもので、ガイドから「シルミド事件のきっかけとなった1968年1月21日、北側の武装スパイ31人が朴大統領暗殺のため大統領府襲撃し、大統領の800メートル前まで迫ったことから、今後、このような事が起きない様、警備が強化されました」

さらに「その北側の武装スパイ30人は、その場で銃殺。残り一人は捕まった後、死刑宣告をされたものの、過ちを認め、何度も謝罪したことから死刑は免れました。そして、現在はソウル近郊にある教会の牧師になり、性格もとても良く、いいおじさんになっています。シルミドについては近々日本で映画が公開されると思いますので見てみてはいかかでしょうか?」と説明があった。

その後、バスが進むにつれ、海上軍事境界線である臨津江(リムジンガン)が見え、漢江との合流点に位置しているオデュサン統一展望台も見えた。また、川の向こうには北朝鮮も見え始め、ガイドが「北朝鮮側の山を見てください」と皆に声を掛けた。北朝鮮の山の木は、ほとんど切り倒されており、山全体が赤くなっている。その中には北朝鮮の宣伝物があり、ここは宣伝合戦をする場所であった。バスの車窓からは韓国側の宣伝物も目にすることが出来たが、これらの光景は南北分断の事実を強く感じさせられる部分であった。

ただし、この宣伝活動については、2004年6月9日付けの朝鮮日報によると、『南北首脳会談が行われた2000年6月15日から4周年ということで6月15日までに宣伝活動を全て停止し、8月15日にはDMZにある全ての宣伝物を取り除くようだ』という記事が書かれてた。


【臨津閣(イムジンカク)】
ホテルを出発して約1時間後、バスは臨津閣へ到着し、ここで約25分間、個人で見学する時間が与えられた。ここでは1953年の休戦協定調印後、戦争捕虜約13000人が「自由万歳!」と叫びながら渡り、戻って来た事から名づけられた「自由の橋」を見学した。ただ、「自由の橋」へと続く道は鉄の柵で閉ざされており、部分的にしか見れないようになっていたが、その鉄の柵には統一を願う多くのメッセージが貼り付けられ、そのメッセージ一つ一つが南北分断の悲痛な叫びとして伝わってくるようであった。

見学終了後、バスは臨津閣を出発し、統一の橋へ向かったが、その道中には多くの爆破装置が設置されていた。これらの装置は有事の際に、道を爆破させ、敵の戦車が侵入してくるのを阻止するのが目的で、韓国戦争時に多くの戦車の侵入を許したことから、今後そのようなことが起きないようにと設けられた。

自由の橋 自由の橋を警備する韓国軍兵士
自由の橋 自由の橋を警備する韓国軍兵士


【統一の橋へ】
いよいよバスは民間統制区域である統一の橋へと差し掛かり、ここからは厳しく制限され、許可された場所以外は写真が撮影できなくなった。ここでは、まずツアー客一人一人のパスポートをチェックし、本人であるかの確認が行われる。バスガイドからも「ここでは本人かどうか確認する為、真面目な顔をして下さい」と説明があった。チェックは数分で無事に終了したが、以前にツアー客の中の数人が、本人と違うのではという疑いをもたれ、20分以上かかったこともあったらしい。

また、ここから先はバスそのものも監視され、カメラも鞄の中にしまうようにバスガイドから指示された。バスが再び走り出したところ、驚くべき光景を目の当たりにした。橋上にはいくつもの障害物がジグザグに置かれていた。これはバスを監視する為、わざとスピードが出ないように設置されたものであった。

バスガイドは「運転が下手な人は無理ですね」と真剣な顔でジョークを言うが、ツアー客も徐々に緊迫感ある光景を前に反応が鈍い。橋を渡り更に進むと「自由の村」と田園が見えてくる。その田園の中に黒っぽいビニールで覆われた高麗人参畑も見えてきたが、ここでもバスガイドは「あの黒っぽいのは何でしょうか。これも何かの爆弾でしょうか。違いますね。高麗人参畑です。次回、見た時には爆弾と間違わないにして下さい。笑われますよ」と真剣な顔でジョークを言う。しかし、数人から笑いがこぼれた程度で、相変わらず反応が少ない。そうこうしているうちに、バスは「キャンプ・ボニファス」の駐車場へ到着した。


【キャンプ・ボニファス】
ここでバスガイドから「ここから先は国連軍のバスに乗り換えて移動する為、全ての荷物を持って行って下さい。それと、国連軍のバスには座席番号がないので、左右の人を確認し、今座っている席と同じ場所に座って下さい」と指示され、慌ただしく移動した。また、ここでは国連軍のバスに乗込む際に服装チェックが行われた。今回はツアー客全員、無事に通過したが、仮にふさわしくないと判断された場合は、急いで「キャンプ・ボニファス」にある予備の服に着替えなければならないらしい。

乗車後、今度は手荷物検査が行われ、危険物がないかチェックされたが、実際に鞄の中身までは見ず、バスの通路を通り過ぎていっただけだった。その後、バスは護衛の為に韓国軍の兵士(エリート)一人を乗せ、数分後、食堂前に到着した。ここで一回目の団体記念写真を撮影した後、バスガイドから「ここでの写真撮影は団体記念写真を撮った場所と食堂だけです」と説明を受け、食堂に入った。

キャンプ・ボニファスにあるホールのマーク キャンプ・ボニファスにあるホールの外観
キャップ・ボニファスにあるホールのマーク キャップ・ボニファスにあるホールの外観



【昼食】
食堂に入ると洋食バイキングが用意されており、バスガイドから「混み合いますので、相席でお願いします」との声が響く中、席に着いた。食堂の中は、よくある西洋風な感じであったが、テーブルにはJSAとかかれたステッカーのようなものが貼られており、そこにしかない独特な雰囲気を感じた。バイキングの中身は洋食バイキングだけあって洋食中心であったが、味も全く問題なく、美味しく食べられた。

昼食
食べた昼食


板門店ツアー後編(昼食後~ホテル到着まで)


[記事作成日]2008年11月24日

※2004年6月に訪れた時の体験を基に作成しています。

・2006年2月から公開していた内容をリニューアルしました。ただ、文章自体は2004年6月に作成し、旧サイト・ゴールデンロード時代から掲載していたものです。若干、文のつながりがおかしい部分もありますが、当時の記憶のまま、ほぼ修正しないで載せています(2008年11月24日)






板門店の地図


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